思い出を抱きしめて...

20歳で逝ってしまったあなたへ

同じ思い…

読まれた方も多いかと思います。

グリーフケアのサイトを読んでいて、

心に染みる文が有り、覚え書きとして引用させて頂きました。




若きも老いたるも死ぬるは

人生の常である

死んだのは我子ばかりでないと思えば、理においては少しも悲しむべき所はない


しかし人生の常事であっても、

悲しいことは悲しい・・・・・


人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという

しかしこれが親にとっては堪え難き苦痛である


時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である


何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である


折にふれ物に感じて思い出すのが、

せめてもの慰藉である

死者に対しての心づくしである


この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろうしかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである


『西田幾多郎随筆集』「我が子の死」

                より



全くその通りなのです

忘れることが出来たら楽なのでしょうか…


でも、忘れることなんて出来ない

覚えていてやりたい

母親である私だけは永遠に…

思い出も苦しいものになってしまったけれど、

苦しいけれど…覚えていてやりたい…

許容力

あるサイトを見ていて思い当たることがありました

以下引用文ですが、




「自分を責める人は相手を責める

自分を許す人は相手を許す」


自分の欠点を責めてダメ出しばかりしている人は、無意識に相手を責めてダメ出ししている


自分の欠点を受け入れてOKを出せる人は

相手の欠点も受け入れてOKを出せる


自分も相手も受け入れる事が

互いに心理的安全性を生む


心理的安全性が低いと

失敗を恐れ、叱られることを恐れるあまり、チャレンジを避けるようになってしまう…





私にはすごく思い当たる節が有って…

私はいつの頃からか自己肯定感が低く

結婚して高学歴の義父からの学歴圧がストレスになって、

それが更に悪化したように思います。


常に比較されていて、でも諦められた感じに酷く傷つけられました。


私が傷ついている以上に子供は傷付いていて、

幼かった👼にかけられた義父の言葉を成長してからも覚えていたのです。


義父もそういうストレス環境で育ったのかもしれない

そしてそういうストレス下で自分にダメ出ししていた私は、口にはしていないつもりでも無意識に👼にもストレスを与えていたんだと思う


こういう事って繰り返されるんだ


今も私は自分にダメ出しばかりしている。

そして同時に、

こんな事になってしまった👼を許していないのかもしれない。

謝りたい思いと同時に矛盾した気持ち…



どちらも受け入れ、どちらも許す事が出来れば…


でも、それが酷く難しい…

永遠の問

急に過去のあの子の思い出が甦り

それも苦しい思い出で、

自分のその時の言動がどうだったのかと

悩まされ

あの子がどんな風に思っていたのかと…


子供の為…と思っての言動が、今思うと

本当にダメダメで😢


あの子に関わった人々に、

家庭の事を何か言ってなかったかとか、

本当は何を考えていたのかとか…

一人一人問い詰めたい衝動に駆られて

急に心がザワザワしてどうしようもなくなる


聞かれた方も、困るよね…


そんな時は、場所を変えて全く違う行動をすると少し落ち着く


でも、ある時急にまたこの考えに捕らわれるんだ

この繰り返し🔃


永遠の問を背負ってしまったから

解決する事のない問を考え続けるんだ…



よくドラマで亡くなった人の気持ちはこうだった…と解決するような話が有るけど

そんな事はないよ…



○○…話がしたいよ!

朝ドラみたいに枕元に来てよ!

抱き締めて謝りたいよ…