思い出を抱きしめて...

20歳で逝ってしまったあなたへ

昨年の今日書き留めた事

三年日記で、

昨年の今日書き留めていた事が有った

どこかで見かけて心に残ったんだと思う

自分なりに解釈した面も有ったかなあ


今度はブログに残してみる



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


起こってしまった事を考えても

意味が有りません


全ての事象は、

原因ー事象ー原因ー事象

の繰り返しです


ならば、この辛い結果をどう生かすか…


時間がかかったとしても、急がなければ必ず何かが見えてくる…


人は死んだら終わりではない

身体という箍が取れ、

今は自由である

呼べば必ず側に居る


自分が行動を起こす時、

どうすれば亡くなった人が嬉しいかを

考えて行動する


人間は間違うものである

間違えればやり直せば良いのです…



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



この一年、こんな風に思い込んだり

外では気丈なふりをしてみたり

でも、気が付けば後戻りしていたり…


結局そんな風には思えなかったり…


でもまた書いてみて

一年後、

どんな風に読めるだろうか

あの日からの季節を繰り返す

最近、また一人泣くことが多くなった


暫く空白が多かった昨年の日記


見ると四十九日だった…


一年過ぎれば…何かが変わっているかなと思ったけど…


確かに昨年のように号泣することは

なくなった

でも、一人静かに泣くことが多くなった



あの突然の衝撃から、

呆然と過ごした日々の季節を

またたどる…


ふと、長いこと帰ってないな…

どうしてるんかな…


なんて思う



こんなに長い間会わなかった事が無かったから…

この思いを繰り返して、

会えない寂しさを繰り返していくんだな




同じ立場の先を歩く誰かが書いていた…


 色々疲れてくるんです

 泣くことにも、悲しむことにも

 前を向いている訳では無いけれど

 居ないという事に少しずつ

 慣れていってしまうんです



私はまだまだ、

泣くことにも悲しむことにも

疲れて無いんだ…


でも、なんだか疲れたなあ…

って思う


この思いを繰り返して、

いつか慣れてしまうのかな



今はただ寂しい…

結局チャイムは鳴らなかった

お盆の間に玄関のチャイムがまた鳴るのでは…と

期待している自分が居た


昨年真夜中に鳴った時は、悪戯かと思って開けてあげれなかった


今年は真夜中だろうと早朝だろうと、絶対開けてやろうと思ってたんだけど…


鳴らなかった😢


それとも、

いつも一緒だから鳴らす必要が無かったのかな…

なんて考えても霊感の無い私には何にも感じる事が出来ていない😔



ドラマで

余りにも辛い現実を受け入れられなくて、海外に居ますとか、遠く離れて暮らしていますとかいう場面があるけど、

ある意味そうなんだし、そう思い込むと楽かもしれない…


現世外で元気にしています…

死ぬまで会えない処だけれど互いに大切に思っています…



未だに現実逃避が止まらないや😰